飲まずにいられない

流れ流れてたどり着いた東京の片隅で現在や過去や未来ん中から幸福のカケラを拾い集めては言葉にのこしていく単純な作業の場所

リアルなOD

拙は、薬によるOD(オーバードーズ)をしたことはないが、多量飲酒の末昏倒したことは、今までの人生のなかで数回ある。

はじめてのSOD(サケ・オーバードーズ:勝手に命名スラッシュメタルっぽいっしょ?)は、確かハタチ前後だったと思う。東横線で帰宅途中になぜか降りてしまい、降りてしまってからそこが自宅からまだ数十キロ以上離れたところの駅で、しかも降りた電車は終電だったと気づいた。


タクシーに乗ったものの、自分の帰る場所の名前も思い出せず、促されるままに健康保険証を出したら、警察に保護されずぶじ自宅まで帰ってきた。ひとつ下の家のチャイムを思い切り鳴らし(早朝だ)、あとからたいへん恥ずかしい思いをした。


つぎのSODは23歳、一人暮らしを始めたばかりの頃だった。


生まれて初めての城は、ドヤ街の隣町にあった。10分も歩けば、濱マイクのいた怪しい「シャブ街」(シロウトにはただの物騒な飲み屋街だった)があり、ライター仕事でまかなえぬ生活費を、合わぬ水商売で補っていた頃、客あしらいがヘタな分は呑んで貢献するしかなく、サントリーリザーブやVSOPの水割りでベロベロにされた。

いつかの帰り道、拙は軽い事件に巻き込まれて凹んでいた。「あたしなんて死んでしまえばいい、キチガイなんだから、生きてる意味なんかないんだから、生まれたことが間違いなんだもん、殺してくれバカバカバカ」と、ミニスカートからパンツまるだしで車道に倒れ込み、ごろごろ転がった。

夜中のアスファルトはひんやりとして、少しゴムの匂いがして、酔った頬に気持ちよかった。そのまんま死んでもいいかな、と思った。もしトラックがその時通っていたら、本当に死んでいたと思う。でも通りがかったのは個人タクシーだった。


「ねえちゃん、こんなふうに命を粗末にしちゃだめだろう」


と抱き起こされ、タクシーの車内でしばらく説教された覚えがある。転がっていた時から、道から拾ってくれた運転手にマンションまで送ってもらうまで、拙はたしか、ずっとずっと号泣していた。なにが悲しいのか最後には分からなくなっていたけど、それでも内臓を裏返すようにうわあああああと泣き続けていた。と、思う。


横浜の、あの町で、あんなことしていて、まるで無傷だったのが、今から考えると本当に不思議だ。よほど魅力がなかったのか。泣き顔がひどすぎたのか。


その後も幾度かSODは繰り返した。おととし、左膝を骨折したのが今のところ最後のSODである。「次には多分死ぬな」と思いつつ、最近の拙の心境を考えると、もしかしてそろそろその最後が近づいているのではないか、なんつって思ってしまうよ。あぶないあぶない。