飲まずにいられない

流れ流れてたどり着いた東京の片隅で現在や過去や未来ん中から幸福のカケラを拾い集めては言葉にのこしていく単純な作業の場所

東京は暑苦しい。

izumi_yu_ki2018-07-26

ご無沙汰してます。
こゆき、もとい結希いずみです。
東京は毎日暑いです。
そちらの気候はどうですか?

しばらく非公開にしてた日記を
再開しようと思ってます。
理由は、知ってる方もいるし
全然見当もつかない、
どーせいつもの気まぐれだべ?
と嗤う方もいるだろうな。

うん。理由はあります。
それはいずれ。多分今週末にでも。

それではまた。

回復状況

正月に帰省した時、妹にみてもらったところ「まだ発疹跡のシミはちょっとばかし残ってるよ」と言われた(愕然)。額の割れ傷はまだ残っている。折った肋骨は慢性的にシクシク痛む。10分歩くと骨盤が疲れて動かなくなる。一度落ちた体力を取り戻すのって大変だ。

ただし、気力はじゅうぶんに持ち直してる。普段は処方薬なしでも何とか頑張れる。ここ1年のログを読むと、ひどい病みっぷりに己ながら驚く。あんときゃ普通に平常心フィルタをかけて言ってたと思っていた。思い込みって自己防衛本能なんだなと、今ならわかる。

幸いなことに、心身のコントロールには習熟しつつある。そりゃムカッとすること落ち込むことは消えない。それを維持できているのは「他人と話す」という最大のセイフティを有難いと感じてるからだ。

引きこもって体調回復に努めて半年後、鏡の前には老婆がいた。よく眠ってるはずなのに頬はたるみ目の下は濃ゆいクマ。ひたすらスマイルを心がけ、可能だったらできるだけ同僚と話をして半年。少しずつ、すこーしずつだが、頬や目の下の弛みがちょっと良くなってて表情も元に戻りつつある。やはりコミュニケーションって人間の精神面にはとっても大事、と同時に顔年齢にも著しく響くってことが、よーーーーーーーーーーーくわかった。

いま、プチプライスの中から、リフトアップクリームとハイライトラメとマスカラ下地と化粧下地を買ってきている。きれいなお姉さんが正義なら、大人かわいいオバチャンだって正義。はしゃがず落ち着いて粛々と、今年は女ヂカラを磨いていこうと思っている。

あ、もちろん音楽と文学は大事。さぼる事はあってもリタイアはしていません。有名人としてサインを書くことが人生の目標です!(言い切ったwww)

ゆづる

オリンピックが終わるまでは羽生結弦・命。それが終わる頃には、口からエクトプラズム出しそうになりながらも、先へ進む計画の実践がスタートする。そっからはより綺麗に、可愛く、自分の脳が許す限り賢く楽しく生きてくと思う。プチプラメイクやスキンケアやおしゃれにも気持ちが向かってってる。

どってことない普通の顔だちなのに何だかエイジレス、何気ないのにオシャレッシブなオバチャン。テルミンとかアコーディオンとか弾く、わりかし文化的でコザッパリしたおばちゃん。

そういうものに、これから、なるよ。

きょうも誰かの誕生日

ひとりにひとつずつ大切な命と歌ったのはイルカでひとりにひとつずつhappy birthday to everyoneと歌ったのは堀込泰行でどっちかといえば気分はヤスのほう。

なんか飲まずにいられない。水が一番。もしくはデカフェ

もともと赤血球白血球血小板らの数値は多かったのだが昔からだと申告すればスルーされてた。が、先月受けた健康診断で軽度の多血症と診断されてしまった。ついでに膵臓にポリープがあり食道もバレットであり長年ブリッジをかけていた左の奥歯は骨が溶けかけてる。加齢の階段くだる年頃に差し掛かったことを思い知るとともに、あー次の高校同窓会ん時はみーんな病気カミングアウト大会になっちゃうんだろうなぁと考える。

同年代って安心する。だって、おおむね等しく衰えているんだもの。生活環境、幸せ指数、なんたら自慢。どんな生き方をしてきたってほぼ平等に体は老化するんだ。年下をうらやむ年齢でも最早なくなった。年上は尊敬すべき先行者だ。だから友たちよ、定期的に会おうぜ。うまいもん食ってくだらんヨタ話に花を咲かせようぜ。シリアスな現実はいつだって話せるじゃんか。

高熱・発疹・入院

5月に薬疹の疑いで入院した。体力そして気力も著しく落ちている。
(誰でも起きうることだから、お薬を飲んでいる方はご注意ください)


体の異変はいきなり来た。
まず39.6度の熱がボーンと出た。戻し下しも激しかった。
インフルエンザを疑い診察を受けたが陰性。カゼの薬と漢方薬をもらった。
以前から飲んでいたものを合わせると、10種類あまりの薬を服用することになる。

一度症状は治まったが、2週間ほど経ってから今度はノドが痛くなった。
カゼ薬と持病の薬を飲んで寝る。
翌日起きたら唇がタラコみたいに腫れ、顔が赤くふくらんでいた。
そして背中、胸、腕、肩、足、みるみるうちにほぼ全身に発疹が出た。
激しく痒い。顔は腫れて形が崩壊している。見るからに只事ではなかった。


じんましんは1〜2日で治るという説も聞き、1日様子を見たら更に悪化した。
アレルギー科のある医院に駆け込む。ちょうどGWが始まる前日だった。


これはひどい。休みの間おかしくなったら総合病院に行きなさい」
と抗アレルギーの点滴を打たれ、膏薬を渡された。


ひとりベッドの上で皮膚の痒さと動悸に耐える。
ポカリと水を半開きのタラコの間に流し込む。ふつうの食事はできない。
舌がときどき気道をふさいで呼吸が難しくなり、
「眠ったら死んでしまうかもしれない・・・」
おおげさでなくそう思い、一人暮らしの怖さを改めて感じた。


総合病院で休日急患として応急処置をしてもらった。
劇症になる可能性もあるとの事でその後入院。
ステロイドの大量投与が始まってから10種の薬は没収。
退院してからも、急に中断した薬の副作用に5月中ずっと苦しめられた。


ここ1週間でやっと持ち直したが、
こんなんで6月中に会社に戻れるのだろうか?
戻っても迷惑しかかけられないのではないだろうか?
万全とはいえない体に苛立ち、先行きを案じている。


なんでこんなことになってしまったんだろう。悲しい。
せめて大好きな羽生結弦選手の笑顔でも見て癒されよう。


なんてふうに、むなしい春が過ぎてゆきました。

きのうみた夢・おとといの夢

悪い夢は、2晩とも仕事に関係した内容で何となく繋がっていた。

                                                                • -

(1晩目)うかつに退職届を出した結果
 以前在籍していた会社の社長が登場。同僚は昔のクラスメイトたち。
 自分から退職届を出し、いよいよ明日辞められるという時。
 開放感にウキウキしながらも、
 原因になった出来事が一つひとつ頭に浮かんでは消えだんだん憂鬱になる。

 職場の仲間に挨拶。辞めなきゃいいのにと声をかけられ決意が揺らぐ。
 でも、彼らの表情はいかにも社交辞令だった。それでも縋る気持ちがあった。
 最後に社長のデスクに行き「辞職を延期したい」と言ってしまう。
「それは無理だ。うちの会計はご存知の通りとても苦しいんだ。」
「君から言ってくれたから正直助かってる。君の立場、わかるだろう?」

 →ここまでで目が覚める。

(2晩目)高橋大輔とダンスを
 最終日、なぜかフィギュアスケートのデー氏に、練習して演技を披露すると言ってしまう。
 案の定なんにもできなくて呆れられる。だがその日ずっと挨拶回りに付き合ってくれた(いい人)。
 バカな拙でも仲間にしてくれた優しい人たちのところに行く。
 心が落ち着く。だが彼らは同僚ではなくフリーランスの方々だ。今後は会えないかもしれない。

 定時時刻になり、デスクに戻る。送別会はない。
 社長が「ご苦労さん」と普段のコーヒーカップにいつものコーヒーを満たす。
 拙は、朝に注いで飲み損ねたカップ半分のコーヒー。それで乾杯。
 それで終わり。誰もこちらを見ない。

 外に出る。日が暮れかけている。歩道橋の上からぼんやりとそれを見ている。
 これから、明日からどうなるのだろう。

 →ここまで。

                                                                • -

奇抜な内容でもなく、どこにでも転がっている話だ。
でも今の拙は、こんな夢でも思い出すと胸が締め付けられる。
息ができないほど緊張する。あのデスクに戻れるのかと。
こんな夢を見るのは、現実、今、
自分のことを追い詰め、思いつめちゃっているからなのだろう。

ナイトメアに愛されて

JUNEゆづカレンダー壁紙

夕飯後睡魔に襲われベッドに横になるも背中がじりじりと熱く寝返りで冷ましてもすぐダメになり不眠を覚悟したところで意識がプツッと途切れ短い夢を見てはまた浮世に戻るを繰り返して朝を迎えること連続2回さて今夜3回目の夜となりますかどうか。

生水のまずにいられない。

寝汗で脱水したらまた体調を崩すかもしれない。
夢と現に挟まった脳はとっさに蛇口をひねり一番近くにある茶碗を握らせ水を汲む。
意外とつめたい。臭くない。
東京の水道は安心なのだね。