飲まずにいられない

流れ流れてたどり着いた東京の片隅で現在や過去や未来ん中から幸福のカケラを拾い集めては言葉にのこしていく単純な作業の場所

吉野家の斜陽

拙の生活はここのところ「いつもの」か「ひさびさ」しかなく、「はじめて」がない。それだけ刺激がなくルーチン化した生活なのだろう。今日は弁当を作りそこね、「ひさびさ」の吉野家。つくづく思うに、カウンターだけの店に伝票制度は不要だと思う。キャッシュオンデリバリーにすりゃ済むじゃん、と、丼の底で豚キムチ丼のツユに汚れた伝票をつまみながら憤慨。牛が解禁になったら、元の単品主義に戻るんだろうか。